さよなら妖精
1991年4月。雨宿りをする一人の少女との偶然の出会いが、謎に満ちた日々への扉を開けた。遠い国からはるばるおれたちの街へとやって来た少女、マーヤ。彼女と過ごす、謎に満ちた日常。そして彼女が帰国しとき、おれたちの最大の謎解きが始まる。覗き込んでくる目、カールがかった黒髪、白い首筋、『哲学的意味がありますか?』、そして紫陽花。謎を解く鍵は記憶の中に――。忘れ難い余韻をもたらす、出会いと祈りの物語。
世界は広がる。どこまでも。
夏休み、小学生が自らが所属するコミュニティから離れ、新たなコミュニティに触れる。新たな世界の獲得である。これは中学、高校、あるいは社会人になっても断続的に起こることで、部活やサークル、アルバイト、職場、個人の輪はどんどん広がっていく。この小説はその個人の円に、全く異質の円が衝突する。それがユーゴスラヴィヤから来た少女、マーヤである。
主人公がユーゴについて調べているとき、文原という登場人物が、
「俺は、自分の手の届く範囲の外に関わるのは嘘だと思ってるんだ」
こんな言葉を主人公にぶつける。認めたくないが、これは僕に極めて近い存在だ。そしてある意味当然の考え方でもある。アンゴラ*1を知らない人の世界に、アンゴラなんて国は存在しない。*2
過去ではなく未来へ。
『時載りリンネ!』にノスタルジーをおぼえるのは、形は違えど、ある意味僕らがどこかで経験したような、いってみれば僕らの手の届く範囲で新しい世界を獲得なりなんなりをしているからだ。
『さよなら妖精』の主人公は僕らも知らない異質の世界と対峙している。だからそこにノスタルジーを感じ取るようなことはなく、むしろ世界を知って自分の位置を知るような発見、あるいは未知の世界に踏み込むような、過去とは逆にベクトルが向いているといえる。季節が夏でないのも作者が、単なるノスタルジックな青春物語ではないといっているようにすら思えてくる。
さて、ノスタルジックなお話でも、ましてや恋愛小説でもないし、青春小説っぽくあるが、そうとも言い切れない。分類はミステリだが、ミステリを意識する必要もほとんどない。じゃあどんな小説なんだといわれればこれは、もう読んでくれとお願いするしかない。また一つ、人に自信を持ってすすめることができる小説が増えた。