Self-Reference ENGINE

Self‐Reference ENGINE (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

Self‐Reference ENGINE (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)


この本は、まったく何が面白いのかわからないんだけど、評するとき、どうしても「面白かった」としか言いようがない。
飛浩隆氏のブログからこの作品と出会う機会が与えられたのだが、本書の内容紹介にはこうある。

昔々あるところに、男の子や女の子が住んでいました。男の子が沢山いたのかも知れないし、女の子が沢山いたのかも知れません。男の子はいなかったかも知れないし、女の子はいなかったのかもわかりません。それともまったく本当に誰もいなかったのかもわかりません。ぴったり同じ数だけということは、とてもありそうにありません。もともと誰もいなかった場合だけは別ですけれども──。


わけがわからない。これで内容がわかる人は申し訳ないが紙一重で馬鹿である。最低限、ジャンルがSFかどうかすら疑わしい、というかわからない。もちろんハヤカワのJコレから出ているのでわかった上で手をだしているのだけれど。
帯の推薦文は先述の飛浩隆に加え、神林長平という豪華な顔触れなのだが、

円城塔は本書でもって、かのオイラーの等式を文芸で表現してやろうと企図したのではなかろうかと想像する。出自の異なる互いに無関係な二つの無理数(永遠に続く感触のある物語群)を虚数空間(小説空間)に放り込み、ある操作をしてそこに1を足すと(メタレベルでもって全体を構成すると)、0になる(虚無が、人生には深遠な意味などない、が導かれる)。人生の価値は、その意味云々ではなく、その充実しためっぽう面白い過程の中にあるという、これはそういう小説だ。読めば、その超絶技巧がわかる。──神林長平


ソラリスの海>がじつは単一の生命ではなく無数の個体からなっていて、しかもその境界線で海同士がわけのわからぬ会話を交わしていたとする。本書は、そんな波間から釣り上げた会話の断片集といってよい。いや、比喩ではなく、これはマジでそういう本なのであり、しかもその「会話」ときたら、SFファン同士の愚にもつかぬバカ話とうりふたつなのである。というわけで、謹んで「爆笑ソラリスジョーク集」の称号を進呈したい。そして、もちろん、この本の中身はそれだけではないのである。──飛浩隆

ここは、ツッコミを入れるべきか。読後なら飛浩隆の推薦文は的確だとわかるんだけれども。しかし未読の人は混乱してしまうかもしれないんだけど、この本はまさしく抱腹絶倒、「爆笑ソラリスジョーク集」なのである。ここは某有名喧嘩師花山薫の例を借りて分かりやすく説明しよう。
真面目×真面目×真面目=破壊力
うん、この例えが、大変に分かりやすいのか分かりにくいのか、それすら分かりにくい。とにかく、床から大量のフロイトが発掘されたり、涼宮ハルヒでいう情報統合思念体が江戸っ子になったり、自己消失の理論を完成して消えちゃったり、挙げ句の果てにはユグドラシルが可愛くなっちゃったりする。そんな感じなのだ(丸投げ)。かの大森望氏は本書を「イーガンが書いた涼宮ハルヒの消失」と評したらしいが、なるほど確かに「学校へ行こう!」など、谷川作品が好きな方にもこの本はおすすめできるかも。
本書は短編連作で、短編一つ一つは非常に短いのだが、それらは非常に濃密なエスプレッソであった。個人的には少数かもしれないが「Tome」「Infinity」がお気に入り。「Tome」のラストで吹いてあとはもう、円城塔氏にされるがまま。難解だと思ったらウイットに富んだお笑い話を始めるし、また急に温かくなったり。それで、全部読み終わったら思わず読み返さずにはいられない。いやはや。
SFファンのバカな会話を、頭の良い人が書いたらとんでもねえ本が出来ちまったんでさ、旦那!
カオスな感想を垂れ流していますが結局、内容は上記の一文でほんの少しはわかってもらえるかと。ほんと、何だかんだ、うだうだ書いてはいますがりんご(自称)はおそらく内容の1割も理解していないと思われます。もっと優れたSF脳が欲しい!それはともかく、個人的にはSFで今年一番の話題作になるかな〜、なんてことも思っています。冒頭の一文から痺れる、傑作。